the body
こんばんは。相も変わらず敦賀から。
皆さんはstand by me
という映画を観たことがありますか?
スティーブン・キングの原題ではthe body(死体)
と銘打たれた作品です。
そんな、観る度に私を郷愁へと駆りたてる名作についての駄文に少々お付き合い下さい。
この物語は端的に言うと
12歳の男の子達が死体を探しに冒険へ出る物語です。
そんな、どこか聞いた事ある様な設定の物語が何故私の感情を刺激するのか。
まず、12歳と言う年齢が1つの鍵になっているのです。
思春期にも満たない、社会を知らない、しかし何も知らない訳では無い。そんな年頃の少年たちの心の在り方に、私は懐かしさや羨望が溢れ出るのです。
そして、自分の育った街しか知らない田舎者の少年達の初めての冒険。この冒険に過去を重ねてしまうのです。
皆さんも大なり小なり似たような冒険があったのではないのでしょうか?
私も12歳の頃片道30キロの道のりを友達と自転車で駆け抜けた日を思い出しました。
初めて新しい街、新しい世界へ繰り出した時の高揚感。自身の力でどこまでも行けると錯覚するような万能感。道に迷った際の底知れぬ不安や恐怖。友との衝突。
そんな当時の面影を想起させてくれる作品なのです。
次の鍵は4人の少年達の関係性です。
大人になった今、完成された自己の中、
友達になる基準は何ですか?
気が合うから?趣味が同じだから?共通点があるから?
そんなに意識していなくても何となく外堀から埋めている気がしませんか?
若しくは、何かきっかけがあってそこを起点として仲良くなったりしませんか?
一方で、小学生の頃の友達はいつから仲良いのかも分からないような友達。気も合わない、喧嘩ばっかしていたけど、何故かいつも一緒に遊ぶ友達。
例えば、ただ家が近かったってだけの理由で出来た友達。
そんなシンプルな、今では味わえない関係性やその背景はこれから出会うことは無いでしょう。
そして恐らく、あの頃の友達の中には、生涯二度と会うことも無い人も多いはずです。
それは、電車の車両のたまたま一駅分だけ乗り合わせた乗客のようなものです。あの日あの頃という一駅分の思い出を胸に、この先交わることなく、各々違う目的地へすすむのです。
この作品はその一駅分の関係性を思い出させてくれるのです。
以上2つの鍵について言いたかっただけでした。
様々なしがらみに囚われた現代人の皆さん
社会の中で死体になりかけた時この作品を
観たことがある人もない人も
あの頃の記憶を傍に
ご覧になってはいかがでしょうか?
追伸
ロバート秋山のstand by meの歌い方レクチャーが面白いから見て見てね。笑