spicks&specks

怠惰で平凡な日常

ジキルとハイド

皆さんこんばんは。相も変わらず敦賀から発信します。

自粛も解除され数週間が経ったこの頃、いかがお過ごしでしょうか。もう、以前のような生活に戻れたのでしょうか?それとも新しい生活様式とういうものにスタイルチェンジされているのでしょうか?

私mackletsurugaはコロナ前も後も変わらず怠惰で平凡な日々を送っております。そんな中で、私には最近悩み事と言うには憚かられる考え事が1つありまして、それについて今回は認めようと思います。

 

唐突ですが、皆さんはいくつの顔を持っていますか?

家族に見せる顔と友人に見せる顔は、言うまでもなく違うように人は相対する人によって見せる顔は異なりますよね。稀に、「常に俺は俺だから」なんて唯我独尊スタイルの方も少なからずいると思いますが…(荻窪の某NBA選手とかそうかな?)そんな中で、この時のこの顔が本当の自分だ!と自信を持って言える瞬間はありますか?若しくは、どんな人物と関わってもここだけはブレないというような、芯の部分を持っていますか?その両方に自信が持てなくなってしまった最近のmackletsurugaでございます。つまり、自己を見失いつつあるmackletsurugaです。

 

では、何故見失ってしまったのでしょう。

要因は大きく2つあります。

まず、1つは環境です。まぁこれは、私の近況を知って

いれば想像がつきやすいと思います。具体的にどういう環境なのかを話す前に少しお付き合い下さい。

上で人は様々な顔を持っていて、それを適材適所で引き出している。と述べました。その全てを含めて自分が形成されてると考える方が多いのではないでしょうか?私自信この考え方だからこそ現在のような現状になってしまったのです。それは何故か、その理由は敦賀で見せる顔が私には一つしかないからです。家族に見せる顔、友人に見せる顔。そんな当たり前なはずの事が今の私には無いのです。見ず知らず土地で一人。現在は会社で見せる顔しか私はもちあわせていない。これこそが1つ目の理由。環境です。(まー、正直自分が人とこまめに連絡とったりしてないだけってのもあるけど)

 

2つ目がタイトルにもあるようにジキルとハイドです。

環境によって、一つの顔しか普段使用していない最近の私が、私が今まで生きてきた過去の私とあまりにも乖離が大きいことです。私の価値観に基づいて行動し、その結果敵も味方も入り乱れた高校時代。後先考えず行動し、全ての道が五反田と横浜へ通じていた大学時代。そして記憶が無い時の俺。その中の全ての要素が抜かれ新生mackletsurugaとして生きて生きた1年。ここに埋まることの無い溝ができ、そして今私はそこにハマってしまっているのです。

端的に言うと、少しやんちゃでイタズラ好きな気が強いmacklekokubaが死んだ今、職場での口数少ない少し気弱なmackletsurugaが自分だと思えないのです。かと言って、取り戻せるようなmacklekokubaの顔を出す相手もいない。この状況が続いた今私は私自身の自己認識を見失ってしまったのです。

 

このような事を、現在私は思考の無限ループに陥っています。そして、自分がわからなくなった結果、今までの友人たちとの接し方もよく分からなくなってしまいました。これからも私と接する事もあるかと思いますが、その際違和感を感じても触れずに頂けると幸甚です。

(俺と久々にあってもあふぁーしないでね。多分俺は人と会うとするけど)

ここまで読んでくださった方、私事の駄文にお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

 

 

 

 

追伸

需要があれば、次回は過去を遡りmacklekokubaをさがす旅に出ます。

そして、8/8-15まで沖縄帰ります。呑みましょう。